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仙台中心地の巨大七夕は ~仙台七夕に学ぶ(2)

11時前に辿り着いた仙台は、びっくりの猛暑。私のオンボロ携帯は、いきなり「異常な温度を察知」したとかで、写真撮影が止まっちゃう始末。
商店街の中は、私が小さいころの一宮七夕まつりのように、朝のラッシュ電車みたいな人混みです。今日は6日・・・まだ水曜日だよね。


商店街の商店は自店の前にワゴンや屋台を出して、商品やジュースやらビールやらを売っています。
当たり前に店前に、はみ出しています。

そう書くと「そんなの自分の店の前だから、当たり前じゃん」と思われるでしょうが、我が一宮では、普段なぜか自店の前でも「ブロック1枚分」(30センチくらい?)しか出てはいけないそうです。さらに七夕まつりの時には自店の前でジュースやビールを出していると、ちょっとコワイお兄さんとかがやってきて「道路を使うのにカネ払っとるけ?(ちょっと脚色あり)」と凄まれたりしてました。今は無いでしょうね(と思いたい)。


頭上からは、美しい手作りの飾り物がずらずらーっと下がっています。
低いものは地面近く、平均でも大人の頭くらいの高さまで。飾り物の向こうが見えないので、どれくらいの混雑か見通せません。その飾り物の間をかき分けるように浴衣の女性が迫ってきちゃうとワクワクしますね、56才でも。
一宮では、飾り物は大人が手を上げて届かない高さまでしか下がっていません。しかも紙でなく不燃材です。私の小さなころは子どもでも手の届くところで、紙で、それをちょっと千切ったりという悪さも多少は許されるような、そんなでした。いつのころからか、火事が危ない、車を通さなければいけないなどの理由で、高く高くなっております。仙台では夜間は縛ったりまとめたりして、いちいち上げています。


今回気付いたのですが、すべては笹飾りが基礎になっているのですね。
長く太い竹が道の脇、路面から湾曲して幅広な歩路の空中を横切り、そこから色々な飾り物や吹き流しがぶら下がっています。その長い竹の先っぽは、ちゃんと笹の葉がついていて、そこには短冊がつけてあるのです。空高く水平に竹を渡して、そこから吹き流しなどをぶら下げているものでも、その横に渡る竹の片方は笹の葉と短冊がついているのです。(少し例外もあり。)


長い吹き流しは様々に目を楽しませてくれます。
会社のロゴなど印刷物を貼り付けたものや、手書きの短冊をたくさん貼ったもの、手作りの小さな鶴や折り紙細工を無限に貼り付けたもの、あるいはリサイクルの紙や鶴をつないだものなど、多様な意匠が遠目にも近目にも楽しませてくれます。南北と東西の商店街が交わるドームの場所は、今年も市内の小中学校生が折った鶴が集まり、大きな美しい滝のようになっていました。かまぼこの鐘崎は、木の薄板と純白の紙とで清冽かつ豪華なものを出していました。
個々のお店ごとにデザインを考え、業者も協力しつつも個々に作品を紙で手作りしている感じです。一宮では昔、子どもたちの作った飾り物を飾った際、商店街の某氏は、ごちゃごちゃしてんなぁ、みたいな表現をしていました。リサイクルで作った飾り物を見たら、何とおっしゃるのか・・・


そして雨じまい。
仙台七夕に雨はつきものらしいのですが、個々の商店からお店の人が次々と路上に出てきて、自店の前の自分が管理している七夕かざりを すいすいと下におろし、ビニール袋にきれいに収納し、また飾り直します。どんどんどんどん。

2011年夏、私たちは「tanabata for tanabata」バスツアーを組みました。一宮で、長期のボランティアも多額の寄付もできないが、いつまでも少しずつ、ずっと東北支援に関わっていこう、またその中で私たちの防災力をつけていこう・・・そんな「ずっと...」という活動の中から生まれました。水野裕子さんが集めた1千枚を超える短冊のうち3百枚ほどを預り、定禅寺「祈りの広場」に皆で飾りました。その翌朝、私がそこへ行くと、一宮から持っていった短冊がありません。そうかあ、そうだよなあ、捨てるよなあ、大変だもんなあ管理が・・・と思っていると、黄色いシャツを着たスタッフが、袋からその短冊を出し、また丁寧に飾ってくれるではありませんか。思わず近づいて「これ、しまって、また出すんですか?」と問う私に、そのスタッフは怪訝な顔をして「はい、そうですよ・・・みなさんの想いが書かれた短冊ですから」と答えるのでした。
商店街の大店の上品なおばあさんが、大きな木の箱から吹き流しの頭の部分のくす玉をそっと出し、傷んだ部分を繕っている風景も見ました。

一宮では、かつて市役所の七夕まつり担当だった人物は「数日飾ったら、飾り物など汚くて処分するしかない」と言ってました。でも・・・一宮は全天候のアーケードの下ですけど。材料は丈夫な不燃材だったりしますけど。一宮の七夕が終わった後で、近くの七夕まつりで似たようなパーツを見ますけど。


七夕まつりに対する想いというか、自分で飾るという姿勢というか、伝統と文化が違うんでしょうね。

仙台七夕まつりの中心地はすごいにぎわいでした。そして商店の人が当たり前に自分たち自身で丁寧に支え守っていました。手づくりの個性・多様性と、自分たちで守るぞ意識にあふれていました。

駅前にある記念写真用の巨大ポスター。「記念写真撮ります」みたいなところが何ヶ所かあり、この時代にかえって新鮮。
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商店街の中心、小中学生がつくった滝のような折り鶴
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様々な鋭意工夫がなされる飾り
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鐘崎の木と白紙の作品
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低く下がった飾り
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雨にすぐ養生する大切な七夕飾り
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