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一宮市宮前三八市広場に砂利が舞う

ハードとソフトが混ざり合い、できた後も永久に開発が継続するような場所。そうしたDNAを埋め込んで生まれたのが一宮市 真清田神社鳥居前の「宮前三八市広場」だ。

この開発は、今の「NPO法人まちの縁側育くみ隊」が受諾し、ワークショップを繰り返した。半分ケンカみたいな議論も重ねて生まれた場所だ。

その議論の過程からずっと牽引していったのが、坪井俊和さん。建築家であり、大学の先生であり、市民活動家であり、育くみ隊の副代表として代表の延藤安弘先生をサポートしている、楽しい人物だ。


その宮前三八市広場の地面は「土舗装」がされている。これは土を固めたものだが、見た目は本当に土の広場のように見える。懐かしい色と匂いがある。ところがコイツが難物で、混ざっている砂利が表面に浮き、風に乗って周辺の店舗や家屋へ派手に飛んでいく。土舗装の材質のブレンドの割合に問題があったという話しも聞く。

ずっと砂利にクレームが相次ぎ、結局、市としても何らかの改良を加えざるを得なくなった。

私自身も同広場の「後見人」となっている。この後見人制度も、同広場の開発時に私が発案したもので、開発後の広場の活用、利用を見守る団体として、同広場の意思決定の諮問機関的な役割を担っている。

その後見人会議で、市の担当部署から提案があり、土舗装は諦め、土色の脱色コンクリート(半透湿性?)にしようということになった。私は結局それに反対することができなかった。クレームがかなり広がっていること、これに対し同じ土舗装の改良ということでは周辺の人々を説得しづらい状況になっていたからだ。後見人会議では、その土色コンクリートということで話がまとまり、予算化もされた。私はソフトとしてのデザインをできる限り当初の形で残すよう努力して欲しいと発言した。

しばらくして、それを聞きおよんだ坪井チャンは、あれは一宮の財産だ、どうにかしなくてはと、市の管理部門に行き、土舗装を何とか保持できないか、と話をいろいろした。

話をしてきたその日の夕方、坪井ちゃんは我が三八屋の木曜居酒屋「他力屋」に来て、こういうのだった。

「私は、これからせめて月に2度は広場へ来て、浮いた砂利の清掃をします。」


昨日9日、坪井ちゃんは本当に掃除に行った。ずっと一人で表面の砂利を掃く作業を繰り返し続けたらしい。

西陽が差しこむ広場に寒風舞う中で、一人、猫背にほうきを使う姿が目に映る。風に枯れ木が転がっていく西部劇的な風景でもある。坪井ちゃんは時々腰を伸ばし、コートの襟を立てて溜息をつき、また黙々と作業を続けたことだろう。

やはりなかなか一人で立ち向かうには大変なようだ。掃除をしている間、他人にいろんなことを言われもし、現場はいつまでも砂利を巻き上げていたようだ。

でもね。

結構その世界では全国的に有名な建築家でありながら、そんな風に独りで茫漠たる相手に立ち向かうドンキホーテは、やはりすごくカッコいいと私は思う。

この志こそ、私たちが欲しいものだと思う。

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